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横浜地方裁判所 平成6年(行ウ)28号 判決

原告 大滝喜代子

被告 相模原労働基準監督署長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が平成三年七月一日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  原告は、亡大滝滋(滋という。)の妻である。

2  滋は、平成二年一〇月二七日午後二時一五分ころ、大工山口博(山口という。)が、三栄ハウス株式会社(三栄ハウスという。)から木工工事を請け負っていた横浜市栄区笠間町七五二番地一三所在の加藤降嘉邸(木造戸建住宅)新築工事現場において、山口の建前作業の手伝い中、二階屋根から墜落し(本件事故という。)、「脳内出血、脳挫傷、頭蓋骨骨折」等の傷病名で入院治療を受けていたが、同年一一月一九日死亡した。

3  原告は、滋を請求人として、被告に対し、本件事故に基因する傷病による休業について、労働者災害補償保険法(労災保険法という。)所定の休業補償給付支給請求をしたところ、被告は、滋が保険給付の対象となる労働者に当たらないことを理由として、原告に対し、平成三年七月一日付けで、これを支給しない旨の処分(本件処分という。)をした。

二  争点及び争点に関する当事者の主張

滋は、労災保険法において保険給付の対象となる労働者に当たるか、否か。

(原告の主張)

1 山口と滋は、いずれも三栄ハウスが発注する木造戸建住宅の木工工事を請け負う大工であり、両名は、それぞれが請け負った木工工事のうちの建前作業について、相互に応援し合うという関係があった。昭和六三年四月以降本件事故に至るまでの間の右両名の具体的な応援関係は次のとおりである。

(一) 昭和六三年四月二日  滋が山口の請け負った大工工事の建前作業を応援

同年六月一〇日    山口が滋の請け負った大工工事の建前作業を応援

(二) 昭和六三年一二月二日 滋が山口の請け負った大工工事の建前作業を応援

同年一二月三日    山口が滋の請け負った大工工事の建前作業を応援

(三) 平成元年八月一〇日  山口が滋の請け負った大工工事の建前作業を応援

同年九月一〇日    滋が山口の請け負った大工工事の建前作業を応援

(四) 平成二年九月二日   山口が滋の請け負った大工工事の建前作業を応援

同年一〇月二七日   滋が山口の請け負った大工工事の建前作業を応援(この業務に従事中に本件事故が発生した。)

木造建築工事には、建前作業などの多勢の大工を必要とする作業があり、滋と山口は、そのような場合に、必要とされる大工を確保するため、相互に自己の労働力の貸し借りをする、いわゆる「ユエ」と呼ばれる方法によって応援し合っていたものである。

2(一) 滋と山口との間のユエにおいては、ユエの本質から、お互いにその労働力提供の依頼を拒否する自由はなく、労働力提供者は依頼者の指揮監督に服する関係にあった。そして、その勤務時間は午前八時から午後五時までとされており、通常の大工の労働条件と異なるところはなく、賃金という名称での金銭の授受はないが、相互に従前の応援の手間返し、労働力の対等交換という形で、労働の対償としての対価を支払っていた。

(二) 滋は、本件事故当日、山口の依頼により金槌など何がしかの大工道具を持参して、他の多数の大工とともに本件工事現場において、山口の指揮監督に基づき建前作業に従事した。滋が作業に従事した場所は、山口が三栄ハウスから請け負った工事現場であり、作業に使用する木材は山口が用意した。そして、前記のとおり、滋は、平成二年九月二日に山口から建前作業の応援を受けているから、労働の代償としての対価を受領していた。

以上の諸点からみて、山口と滋との間には、本件事故の際、使用従属関係があったといえる。

3 以上のとおり、本件事故において、滋が労災保険法上の労働者に該当することは明らかである。

(被告の主張)

1 労災保険法において保険給付の対象となる労働者の範囲については、同法に特に規定はないものの、同法一二条の八第二項において、災害補償の事由は、労働基準法(労基法という。)に規定する災害補償の事由とする旨の定めをしていること及び業務上の災害発生に際し労働者に対する迅速かつ公平な保護を確保し労基法上の事業者の一時的災害補償負担の緩和を図るために制定されたという労災保険法の制定経緯に鑑み、労災保険法にいう労働者とは労基法九条にいう労働者と同一のものと解される。そして、同条において「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をいうと規定されており、同条にいう「使用される者」とは、使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対償として賃金の支払いを受ける者をいうのである。

そして、右「賃金」とは、「名称の如何を問わず、労働の対価として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」と定義されており(労基法一一条)、この賃金が労働者にとっては唯一の生活の糧となることから労働者の保護のために、「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない(同法二四条一項)」、「賃金は毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない(同条二項)」と定められている。

また、民法六二三条において「雇用は当事者の一方が相手方に対して労務に服することを約し、相手方が之にその報酬を与えることを約するによりて、その効力を生ず」と規定されているように、賃金は、労働者による労務の提供と対価関係にあることが当然の前提である。

2 以上を前提に、山口と滋との間に使用従属関係があり、山口は滋に対し、労務の提供に対する対償の支払いをなしていたかを検討する。

(一)(1) 滋は誰にも雇われず、誰も雇っていない、いわゆる一人親方であり、本件事故発生当時にも、三栄ハウスから、相模原市下九沢所在の大平高七邸新築工事の木工工事を請け負っていた。

(2) 山口及び滋を含む本件建前に参集した大工相互間には、他の者が行う建前などの際に応援し合う習慣があった。これは、大工相互間の無償の一時的な応援であって、賃金の支払いを伴わないものである。滋が山口からの依頼により本件建前の応援を行ったのも、このような習慣によるものであって、従来と同様に無償の一時的な応援行為にほかならず、滋と山口との間には賃金を支払う旨の約束はなかった。

また、山口から手間返しとして応援を事後的に受けるとしても、その時期が不確定で、その実施に確実性がなく、山口から手間返しを受ける前に、滋が再度建前の応援を行うなどの不安定要素が認められるのであって、応援とその手間返しとの間には対価関係は認められない。

(二) 「ユエ」の関係とは、通常、一日の出動の労力に対しては金銭やその他の物質で相殺することはなく、一日の実働労力で返すことを原則とするが、相手の労働力は長い間に返されて、全体として不均衡にならなければよしとするものである。したがって、メンバーは、道義的にはともかく法的には依頼を拒否する自由を有している。また、メンバーが相互の義理を欠くまいと努力し、同等の信頼関係を維持することで成立する制度である。したがって、「ユエ」の関係は、労働契約により成立する使用従属関係とは認められない。

3 以上のとおり、滋を労災保険法上の労働者と認めることはできない。

第三争点に関する判断

一  労災保険法は、同法の適用を受ける労働者の定義規定を置いていないけれども、同法が、労基法第八章「災害補償」に定める各規定の使用者の労災補償義務を実現するため使用者全額負担の責任保険として制定された経緯を考慮すると、労災保険法上の「労働者」とは、労基法上の「労働者」と同一のものをいうと解するのが相当である。そして、労基法九条は、同法上の「労働者」について、職業の種類を間わず、同法八条所定の事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者をいうと規定しているが、その意味するところは、使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として使用者から賃金の支払いを受ける者をいうと解される。したがって、問題とされる者が労災保険法上の「労働者」に当たるかどうかは、使用者とされる者との間の業務遂行上の指揮監督関係の存否及び内容、時間的・場所的拘束性の有無及び程度、業務用機材の負担関係、報酬の支払条件及び方法、仕事の依頼・業務従事の指示に対する諾否の自由の有無等諸般の事情を総合的に考慮して、その実態が使用従属関係の下における労務の提供とそれに対する対価の支払いと評価し得るか否かによって決すべきである。

二  これを、本件事故における滋と山口との関係についてみるに、証拠(甲五、六、一四の二、乙四、五、一五、証人山口、原告本人)を総合すると、次の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1(一)  木造戸建住宅の新築工事の木工工事としては、最初に、コンクリートの基礎に、柱で骨組みの組み立てを行い、屋根の棟を上げて屋根に野地板を張る作業を一日で行う。これを建前と呼び、この時に施主が行うお祝いとお清めの儀式を棟上式といい、祝儀や振る舞い酒が出ることもある。建前の作業は請け負った大工ひとりでは柱の組立て作業をすることができないため、他の大工に応援を依頼することになる。

(二)  三栄ハウスから木工工事を請け負っている大工は、全員が誰にも雇われず、誰も雇わない、いわゆる一人親方であり、それぞれが同社から個別に木工工事を請け負っていた。したがって、必ず建前作業が必要となるため、気の合う者同士が建前作業の応援をし合う関係が生まれ、本件事故当時までには、山口及び滋を含む一二、三名のグループが自然に形成され、建前作業については、その構成員が相互に応援し合うようになった。

(三)  山口及び滋を含む一二、三名のグループにおける建前作業の応援の具体的な方法、手順等の実態は、次のとおりであった。

(1) 応援のやり取りは、一人親方で、互いに技術、経験、性格で信頼できる者との間でのもので、一人前の大工でない者が参加するのは、修行中の後継者が親と共に参加するような場合であった。

(2) 応援の依頼は多数の人手の必要な建前の時だけで、賃金支払いの約束はなく、実際も賃金の支払いは行わない。その代わり、応援を依頼した者(依頼者)は、依頼に応じて応援をした者(応援者)が建前を行う時に、応援の依頼があれば、都合がつく限り、応援の返しを行う。建前の応援の貸し借りは、各自が記録しておく。応援の返しができない場合や建屋の規模、工期等の関係で応援の貸し借り回数が合わなくなることも生ずるが、この場合でも、本来は応援で返すべきものなので、金銭で返すことを求めることはない。しかし、年末などにやむを得ず金銭で処理する場合もある。

(3) 応援の依頼者が応援者に応援の返しを行うまでの期間は一定ではなく、応援者の行う建前までの期間であるから、長い場合は三か月の間隔が開く場合もある。

応援は、午前九、一〇時ころで作業を中止した場合はともかく、天候等の関係で急きょ途中で中止した場合でも、一回の借りということになるし、返しは半日という場合でも、一回の返し(一日の応援行為の意味)として扱われる。

(4) 応援の借りのある者が、依頼を受けても何らかの理由で返しができない場合もあるが、そのことを理由として制裁を受けることはない。もっとも、応援はお互いの信頼で行われているので、なかなか応援の返しを行わなかったりすると、自分の依頼に応じてもらえなくなることはある。

(5) 依頼者は、三栄ハウスと打ち合わせた上で建前の日取りを決めた後、必要な人数の応援を個別に依頼する。依頼の際には、建前作業を行う工事現場を指示すれば足り、応援を承諾した大工は、時間の指定がなくても午前七時から八時ころには現場に参集し、建前の規模によっても異なるが、午後四時か五時ころに作業を終了する。したがって、勤務時間の指示というものがない。

(6) 全員が建前の作業手順を熟知しているので、誰も応援者に対して任務分担等の指揮命令は行わない。作業上の安全に関しても、各自が自ら注意し、他の大工に対しては、土台が濡れていて滑るから気をつけてくれ、といった程度の一般的、抽象的な注意喚起をする者があるくらいである。

(7) 建前の際の応援の貸し借りとは別に、工期に間に合わない時などに仕事を依頼することもあるが、この場合は日給での賃金の支払いの約束を行い、実際に日当を支払う。この場合は残業手当のようなものも支払うことになる。

(8) 滋自身は、昭和五八年七月ころから三栄ハウスの木工工事を請け負うようになり、当初は建前作業の応援を受けた場合は応援者に日当を支払っていた。しかし、建前には大工が一二、三人必要なのに、四、五人しか応援が集まらなかったことがあり、それは手間返しではなくお金で支払うからだと教えられた。滋は、それ以後は、特にお金を要求された場合は日当を支払うことはあったが、応援の手間返しで返していた。滋が他の大工の建前作業を応援した場合も、金銭を受け取ったのは一回だけしかなく、結局、お互いの労働力で貸し借りをする関係になった。

また、滋と他の大工との間の手間返しの間隔はまちまちで、数日しか間隔が開いてない場合もあれば、四か月程も間隔が開く場合もあった。本件建前の応援についても、山口の応援を受けた時から約二か月の間隔が開いていた。

2(一)  山口の依頼により、本件建前作業の応援に参加したのは一三名で、滋を含む全員が一人親方であった。

(二)  滋は、本件事故当時、三栄ハウスから、大平高七邸新築工事の木工工事を請け負っており、山口からの加藤邸新築工事についての応援を頼まれたのは、本件建前の日の一日だけであった。

(三)  山口と三栄ハウスとの間の請負契約はいわゆる手間請であり、本件木工工事の材料、建前作業に使用するクレーン車とその運転手は、三栄ハウスが用意したが、作業に使用する大工道具類は滋が自分のものを持参した。

(四)  本件建前作業の応援について、山口と滋との間に、賃金を支払う旨の約束はなく、この応援は、平成二年九月二日に滋の大平邸新築工事の建前作業を山口が応援したことに対する手間返しであり、これにより両者間には応援の貸し借りがなくなる予定であった。本件建前作業について、作業時間は特に定められていなかったし、本件作業に当たり、山口が滋に対し、作業内容等の指示をしたことはない。

三1  右認定の事実によると、滋は、もともと誰にも雇われず、誰も雇わない一人親方であり、山口の応援の依頼を受けて本件建前作業に従事中に本件事故が生じたものであるところ、その作業は一日で終わる一回的なもの(本件事故当時、滋自身が、三栄ハウスから別の木工工事を請け負っていた。)であって、労働契約が予定する継続的な労務提供ではなく、また、山口と滋は同じく三栄ハウスから木工工事を請け負う一人親方同士で、いわば対等の立場にあり、確かに、滋が山口からの応援依頼に応じなければ自分の応援依頼に応じてもらえなくなることがあり得るものの、それは事実上のものにすぎず、都合が悪ければ応援の依頼を断ることができるのであって、仕事の依頼に対する諾否の自由があったと認められるし、本件建前作業について、山口から作業時間や作業内容等についての指示もなく、三栄ハウスと山口との関係は手間請であり、材料は三栄ハウスが提供しているが、作業用具は滋自身が準備した大工道具を用いていることなどの事実が認められるのであって、これらの事情を考慮すると、本件建前作業に従事するに当たり、滋が山口の指揮監督下にあったということはできない。

更に、山口及び滋が属していた一二、三人の一人親方のグループにおいては、建前作業の応援は、作業時間を考慮して金銭を支払う形態の作業の手伝いとは明確に区別され、応援に対しては金銭の支払いではなく手間返しが原則とされているのみならず、その間隔もまちまちで一か月以上の間隔が開くことが多く、しかも、その手間返しも、作業が中途で終わったり半日しか作業しない場合であっても一回の応援と評価されることからみて一定時間の労務の提供に対する対価と評価することはできないのであって、これらの事情を併せると、建前における応援の手間返しは労働契約が予定する対価としての報酬とは認められない。

2  以上のとおりであって、山口と滋との間に使用従属関係があって、滋がその下で労務の提供をし、それに対する対価として賃金の支払いを受けていたとは認められないから、滋が労災保険法上の労働者であるということはできない。よって、争点に関する原告の主張は採用することができない。

第四  結論

以上の認定及び判断の結果によると、滋を労働者でないことを理由にして休業補償給付を支給しないこととした本件処分は適法であり、その取消しを求める原告の本件請求は理由がないから、これを棄却すべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡邉等 木下秀樹 間史恵)

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